友達に支えられてることが一番のパワー。

娘の中学受験で

昨年6月ころから

いろいろ家族であった。

喧嘩も、言い争いも

たくさん。たくさん。

反抗期を味わさせてもらった。

悩んだ

自分がやろうと言った受験。

ムリクリだった。

理由は、なんだ?

あの日は?

たしか

6月? 5月?

仕事から帰ってきて

娘の怠惰な態度に激怒したんだ。

悲しくなって

怒っていた自分がいた。

怒りがおさまらなくて、

そしたら、口から

受験だ!

受験するんだ!

こんなんじゃ、ダメだ!

って、、、

ママも、ママも

一緒に試験(登録販売者)頑張るからって

それもこれとは関係ないかもしれない。

なんだか、叫んでた。

わけわからない。

受験じゃなくったって

スポーツや格闘技や武道などやらせてもいいはず。

なぜか「受験」「受験じゃないと」という言葉が降りてきた。

そこから塾に通いはじめた。

なんと中途半端な6月。

個別レッスンになった。

それが娘に苦しい塾生活となった。

先生が合わなかったのだ。

ここで合う先生なら、もっとすんなりと違ってたかもしれない。

最悪な状況になった。

娘は劣等感のカタマリになってしまった。

あいも変わらぬ怠惰な生活を見て

ついつい

私も、娘を傷つける言葉を、感情任せて言ってしまった。

夫も、突然キレて娘に怒り出したりした。

夏頃? 秋頃?

めちゃくちゃ

ぐちゃぐちゃに。

もう一度見直した。

考え直し、悩んだ。

これでいいのか?

やめるのか?

何度も夫婦で話し合って

昨年末、最後の最後28日に

受験の申し込みをした。

娘は、もちろん嫌がった。

ところが、冬休みが終わり、

学校が始まって

娘が変わったのだ。

学校から帰ってきたら

「私、先生に、受験する」って言ったからとスパッと言うのだ。

新学期が始まった日の話なのだ。

え?

あんなに反抗してたのに。

そう、その原因は

友達だった。

友達にも一人、何校もたくさん受験する子いるの。

ほかの友達がもたくさん

「頑張ってね。」って応援してくれてるのと言うのだ。

友達が応援してるから、受験頑張ると

泣きながら言う。

手の甲にお友達から「頑張って」とマジックで書かれていた。

3つか4つ。

そこで、初めて落ちたらどうしようってプレッシャーになったのかも。

みんなに応援してもらってるのに

自分は、できない。

ダメな人間だと責めている。

それを見て、なんて健気なんだ。と感じた。

受かっても受からなくても

とても豊かな経験をしてる。

そして、成長してる娘を見た。

抱きしめた。

ママのことは一生嫌いでいい。

この経験は、確実に娘を成長させてくれた。

ママは、誰よりもあなたを愛してる。

泣き、自分を責める娘自身に、

「自分自身が一番の親友になって!

自分を嫌いになることはやめて」と

抱きしめた。

娘が笑顔になった。

娘の受験を通して、私が学ばせてもらってる。

ありがとう。

いつものまま、いつも通り、

頑張らないで、

気楽にのぞもうね。

私も振り返ると、

ピンチの時は友達が、いてくれた。

だから、今がある

今もこれからも友達との関わりの中で成長させてもらえるんだと、、、

娘から、

友達を大切にすることを、学んだ。

ありがとう。

そして、自分が一番の親友になること。

自分が一番、自分を傷つけてしまうことも、娘を見てて感じた。

受験ってこんなに

親子共々成長させてもらえるものなんだ。

ありがとう。

そして、フレーフレー^_^

P.S.

あの時、桜井翔くんが慶應義塾大学を出てるよって話してくれてありがとう。

大好きな嵐のメンバーが頭がいいって知った、あの時の娘の顔がキラキラしてた。

ありがとう。

ABOUTこの記事をかいた人

2008年、一冊の本をきっかけに作家、中谷彰宏氏主催の中谷塾に入塾。数々のセミナーをきっかけに、子どもの頃から好きだった「絵を描くこと」で世の中を元気にしたいと志を抱き、「クリニカルアーティスト」になるべく道を歩み始める。 同年、彫刻家である、故金子健二氏の芸塾造形研究所に入所。臨床美術士3級を取得する。 2010年、あなたの脳と心を元気にするプロジェクト「おもしろアート塾」を立ち上げ、月に2回大人の為の図工教室を開催。翌年、「夢名塾」設立。「だれでも講師になれる」をコンセプトに、講師としての実践の場を多くの仲間に提供している。 その他、企業、介護施設等でもアート教室の講師を務め、受講者からは「自分がこんなに描けるとは思ってなかった」「上手い、下手ではないんですね」「楽しかったし、スッキリした」との好評を得ている。 モットー「大人が元気で、子どもたちが未来に夢を持てる社会にしたい」 1969年 埼玉県川越市出身 4人の子どもの母である