《2020/8/2》母の遺品整理と形見分けをしました。

母は、本が大好きでした。シドニィシェルダンが特に好きでした。

本棚には、世界地図、昭和初期の辞書などもたくさんありました。
地図は、旅する前に、徹底的に調べるのが好きでした。

古い本もたくさん出てきました。

戦前の辞書や、65年まえの育児書などもありました。

アルバムもたくさん出てきました。

75歳からでしたが、たくさん海外旅をしてた思い出の写真がいっぱい。

85歳まで使ったパスポートは、捨てずにお墓に持っていくことにしました。

衣類の中から、私の銀行員時代に着ていた制服が見つかりました。

33年前のものです。結構、日常に着ていたようです。

写真は、私の小さい頃、母が抱っこしている写真を発見。50年くらいのものです。

そんな、高価なものも無かった母です。

家族のために倹約してきたのです。

母が生前よく言ってたのが、「女は力仕事ができないから、頭で勝負するんだよ」と。

母は、入間基地でタイピストをやってました。

父が商売が大変な時は、基地での給料で家計を助けました。

お金もためて持っていたようです。

たまに、英語が出てくるのは、その当時の名残です。

戦争中の話もよくしてくれました。

世の中は、大本営だから騙されてはいけないよと。

戦争の時、国民は騙され続けたんだと。

お腹が空いて空いてたまらない日々だった。

食べ物のありがたみをよく教えてくれました。

残すなと言ったのも、食べ物のない苦しみを経験していたからだと感じました。

戦争の生き証人だから、今の人たちに伝えなければならないことがたくさんあるといました。

もっといろいろ語りたかった。

食の恐ろしさ、医療のカラクリもよく話してました。

私がドキュメンタリーが好きなのも母ゆづりなのかな。

歴史好き、英語好きなのも。

孫で誰でもいいから、青い目の人と結婚してくれるこがいたらいいな

なども言ってました。

私の体の中に遺伝子として入っていて、私が母の夢の続きを実現していく。

そんな気持ちになりました。

字も絵も上手な母でした。

夢を叶えられる世の中に感謝です。

コロナも母にはどんな風に映っているのでしょう。

お話ししたかった。

ありがとう。あ母さん。

 

 

 

ABOUTこの記事をかいた人

2008年、一冊の本をきっかけに作家、中谷彰宏氏主催の中谷塾に入塾。数々のセミナーをきっかけに、子どもの頃から好きだった「絵を描くこと」で世の中を元気にしたいと志を抱き、「クリニカルアーティスト」になるべく道を歩み始める。 同年、彫刻家である、故金子健二氏の芸塾造形研究所に入所。臨床美術士となる。 2010年、大人のためのアートセラピー「おもしろアート塾。」翌年、「第一回夢名塾」を開催「だれでも講師になれる」をコンセプトに、講師としての実践の場を多くの仲間に提供している。 その他、企業、介護施設等でもアート教室の講師を務め、参加者からは「自分がこんなに描けるとは思ってなかった」「上手い、下手ではないんですね」「楽しかったし、スッキリした」との好評を得ている。 2018年 NPO法人ヴァンテアン・プラス (旧:中小企業支援センター)の地域活動で「坂戸のレンタルスペースサカドフラット」をスタートしています。 モットー「大人がワクワクで、子どもたちが未来に夢を持てる社会にしたい」 1969年 埼玉県川越市出身 4人の子どもの母である